飛雁野瀬未奈

謎の手記 … 飛雁野瀬未奈 … 何かのアナグラムみたいな … 失なわれた40年

本ページはプロモーションが含まれています



12 巻物の封印は七つ

0:0:0~00:03:09
12に入って参ります。今日のテーマは「巻物の封印は七つ」で御座います。「巻物の封印は七つ」と申し上げますと、思い出される方もいらっしゃるかと思いますが、「ひかりのかるた」というカルタが御座います。このカルタは大変不思議なカルタで一年中あちらこちらに売れて参ります。本屋さんでも夏でも売れるカルタというので不思議がられているようで御座います。それでは何故、夏でも売れるかと言いますと、もちろん、このカルタは昭和54年のお正月に作ったもので御座いますけれども、初めは、お子さんの為に作りました。ところが、だんだんだんだん、解って参りましたら、このカルタですね、これが実は絵札で御座いまして、これ、「ま」ですね。巻物の封印は七つ御座いますね?そして、これが読札で御座います。このように書きます。そして、この「ひかりのかるた」を採っておりますうちに、お子様方は、いつの間にか、たった43枚しか御座いませんから、これを諳んじてしまいます。これを諳んじまして、「道しるべ」という御本と、「潜在能力点火法 開門編」「潜在能力点火法 理論編」という御本を読みますと、とてもよく理解が早いからで御座います。ですから、皆様も是非ですね、このカルタを憶えてしまっていただきたいんですね。

00:03:09~00:06:12
例えば確か第2課のところで、光のカレンダーのお話が出てまいります。私が昭和45年に、この光のカレンダーを発見した訳でございますけれども、この光のカレンダーを発見する動機は、どういう事かと申しますと、実は、この「ひかりのかるた」の「の」のところ、「の」のところには、どんな絵が出てくるかと言いますと、ここには大きな大きな大嵐、大きな波の中をうねっている船の絵が出て参ります。これは「ノアの箱船、どんぶりこ」という取り札で御座いますね?この「ノアの箱船 どんぶりこ」というのを、まあ、三日三晩くらい、睨めっこしていました。睨めっこしているうちに、どういう事が解ったのかと言いますと、ノアの箱船が大地が水に満たされるまで、降り続いた雨の日日、大雨の日日が、40日、これは聖書の中に出てくる40という数字、ある時は40年という数字で、ある時は40日、ある時は400年、その他、色々な数値で、40という数字が出て参りますけれど、その40という数字、実は私、小さな頃から、この数字に対して、疑問を持っておりまして、これが何を意味するか?その意味する事を徹底的に、暦というものに当てはめて、考えていった時に、実は、あの光のカレンダーというものの発想に繋がっていった訳で御座います。そして、その光のカレンダーが、どのような、皆様の人生に。また、皆様と皆様の周囲の人、また遠い人達の、人と人との触れ合いに、どんな作用をしているか?また、皆様が潜在能力点火法という御本をお読みになって、前の門を開いて、後ろの門を開いて調和法をなさる。これは、この光のカレンダーが無かったら、実は一つも出来ない事な訳で御座いますね?そういたしますと、大変、皆様の人生、また、大げさな表現法を使わさせていただければ、全人類にとって、かけがえのない、実は暦だという事が解って参ります。



00:06:12~00:19:01
で、今度は、この巻物のお話に戻ってみたいと思うのですが、この巻物のお話に戻ります前に、本日は第12課で御座いますから、第11課までの事を簡単に復習し直してみましょう。まず、第1課で、どんな事を御勉強したかというと、光の世界の仕組みはどうなっているか。第2課では、今度は、我々の心の世界が、どんなになっているか。そこで光のカレンダーが出て参ります。で、今度は第3課では、この光の世界と物質の世界、我々の肉体の所属している、この物質界という世界、我々の心というものに所属しております、光の世界。この光の世界が一体、そのエネルギーとエネルギーとの結ぶ接点。すなわち、両方の窓のような役目をしているものが何かというと、これで御座いますね。これ、「369のマーク」。で、この「369のマーク」というものが、物質の世界と光の世界とを具体的に結びつけている役割をしているんだという事が証明されてくる訳です。それから今度は第4課では、どのような御勉強をしたかと言いますと、この私共が何となく住んでおります、この現象の世界で、物質の世界。実際、今まで気が付かれておりませんでしたが、それは第1課で、四色の定理という考え方が出て参りますね。で、表面意識というものが、{5,4,2,6}、すなわち{みどり、きいろ、あか、あお}の四つで出来ている。だから、この人類というものは、この地球上に、約50億、国連の統計によりますと、おりますけれども、その50億は、その意味で色分けしていきますと、たった{5,4,2,6}という四つの人種になってしまう。じゃあ、この四つの人種の中をエネルギーというものは、どのような仕組みで流れていくか?と言いますと、今、申し上げた{5,4,2,6}という言葉そのものが答えになって参りまして、大変不思議な事に上も下もなく永遠に{5,4,2,6}を循環していく訳で御座います。そして、それが大変不思議な事に実はお隣の中国。あらゆる思想哲学の基となっております易経のまた基。一番、易経の基になっておりますものは何かと言いますと、河図と洛書。これは第4課で御勉強いたしましたので、そこのところのビデオを見直していただければ結構で御座いますが、河図と洛書というものがエネルギーの流れというものを証明する役目をしている。そういたしまして、そこまで勉強いたしますと、今度は段々段々と色々な方の光の計算をしたりして、その方の色々な在り方が解って参りますね?それを一応整理する意味で第5課で光の一つ一つの性質を皆様に最低限度心得ていただきました。第6課では必ず一度、光の調和法を実習いたします。そうして、その第6課までの6つの科目を約4~5年の間、取っ替え引っ替え、繰り返し、繰り返し、やっておりましたんですが、実は、こういう事を始める、ごく初期、今から約10年程前に、実は、この光の仕組みというものが、私共の肉体というものを形成している各細胞、細胞のまた中心で御座います、DNAの仕組みと非常に重大な関係を持っているという事実に気が付いて参りました。これを何とか皆様にご理解いただきたいと思って色々しておった訳で御座いますけれども、とうとう両三年程前から、そのお話をせざるを得ない事象が現れて参りまして、昨年、思い切って、その為の準備を致し始めました。で、第7課として選んだテーマが「光と陽号」というテーマです。第8課は、今度は「みどりの性質」「5の性質」で御座います。そして、この「5の性質」というところは、第8課のあとで第11課の「光のDNA」という御勉強をいたしますと、さらによく解って参ります。この「5の性質」の御勉強をいたしまして、その時は大変不思議な事に、その立証者の役割をしておりますのが、赤穂四十七士を葬って御座います泉岳寺というところのお墓の在り方が実証してくださっている。これが何処で、どう繋がっていくかというお話は、その時いたしておりますので、もう一度、ご覧になっていただきたいと思います。そして、この時のお話が間違っていない証拠と言っては何ですが、一つの立証でございましょうか。実は昭和62年6月14日。札幌の中央区民センターというところで、この第8課の御勉強をしておりました時、私が高輪の泉岳寺のお墓の配置図を教材として黒板の前に広げました。それは各地共に、そういうお伝えの仕方をしてた訳でございますが、その時、偶々、N様という方がビデオにお撮りくださいました。大変不思議な事に、そのビデオを同じく札幌にご在住で御座いまして光を一生懸命広げてくださっておりますT様というお宅で皆さんがビデオをご覧になっております。その図版の中から美しい緑色の光が燦々と流れていく場面がビデオに撮れているそうで御座います。それで話がちょっと外れましたけれども、その次に今度は「五角形」という問題に入って参ります。で「五角形」の問題が第9課でございます。「五角形」というものが実はエネルギーを製造していく上において重要な役割をしている。どうして、そういう問題に入らざるを得なくなっていくかと申しますと何年か前から実は光で五角形の写真があちらこちらで撮れるとか。それから実は、その光と重大な意味合いの関係が御座います、東京の西新宿というところに京王プラザホテルというところが御座います。そこは今もう、毎度申し上げますけど光の世界では段々証明されて、もう人類はこの事は解ったなと思った事はどんどん抹消されていきます。実は私が11年前、色々な機会が御座いまして、そのホテルに参りました時は、そのホテルは本当に、ありとあらゆるところが六角形。369のマークの姿で。もう本当に椅子から何から全部、それで出来ておりました。ところが、この369のマークの御認識が皆様の間で強まると共にですね、段々段々と、それが姿を消して参りました。ところが、その369のマークを沢山見た事がいつかこの問題に入って行かざるを得なくなった基なのですが、その時に、この京王プラザホテルに御座います備品の中で一つだけ解らないものが御座いました。それは一つのスタンドなのですが。大きなスタンドですね。身の丈が2メートル半ぐらいあります。それが三角形のグローブを五つ、すなわち五角形の形をしていました。これがなかなか解けなかった訳で御座いますけれども、それが段々と解けて参りまして、鮮やかにDNAの中で活躍して、という事が解って参りました事から、DNAの仕組みと、光の仕組みが有機的に結び付いて来た訳で御座いますね。で、その辺のところを、DNAというテーマに入る前に「五角形」というところで御勉強いたしました。「五角形」というところで御勉強した時に、ついでに今度は今まで私共が何となく解っていて、なかなか表面意識では解り得なかったカレンダーの問題に入って行った訳で御座います。以上の準備が整いまして、昭和62年9月1日、立川というところで、この「光のDNA」の御勉強をいたしました。もう色々な難しい化学記号をお書きしなくても、これでもって「光のDNA」の全てが簡単に理解出来ます。これから、また折に触れて細かく御勉強して行きたいと思う訳で御座います。それで、この9月1日から、とうとう、所謂、今までの色々な宗教的な世界とか、そういう、どちらかというと形而上的な専門の世界とは、一種の、光の世界が絶縁されて来ましたと言いますかね、違う世界になってきてしまいました。何かサラサラと科学的な世界に皆様も入り込んでいらっしゃってくださいました。まあ、お陰様で、この頃何となく、どちらに参りましても、霊的なお話ですとかね、それに関する理屈っぽいお話が何処でも段々と影を失せてしまったのも、その一つの現れだと存じております。

00:19:01~00:22:53
そういたしまして、実は昭和63年、本年の2月6日の事。色々と縁が整いまして、広島県の福山というところに参りました。そこには、もう2年程前から単発で3度程伺っている訳で御座いますが、色々色々と事象が重なりまして、本格的に光の勉強をなさりたいという事で参りました。そこで、いきなり第11課「光のDNA」という第一回の講演会をいたした訳で御座います。その時にご参加してくださりました方々はご老人のご夫婦。また中年。青年の方。また高校生。中学生。大変嬉しい事に幼年の幼稚園生が4~5人、ご参加くださりました。また福山大学の教授の方々までご参加くださいました。という事は人類調和の雛形が、たった30人前後の中に全部、揃っていたという事で御座います。そういたしまして、その時に神戸の国光様という方がお撮りくださりましたのですが、その時に実は撮れましたビデオが大変不思議なビデオが撮れて参りました。本日も、その、本当は延長を段々と御勉強したい訳で御座いますけれども実は、その延長を御勉強しようといたしますと、大変心ならずも大変ですね、段々段々と多少難しいお話にわけ入らざるを得なくなりますので、私も「光のDNA」というお話をいたしまして、もう半年以上経過いたしまして、やはり、こういう事をやっておりますものですから、皆様の理解の仕方、反応の仕方というものを私なりに全神経を集中して色々と考えてみますと、どんどん理解くださいまして、ご自分で自主的に勉強なさって、どんどん、ある意味で言ったら私なんかよりも、そちらの方の専門書を読みこなしている方もいらっしゃいます。また、ちょっと話が難しくなっちゃって、困ったなあと戸惑いをなさっている方もいらっしゃるようで御座います。ですから別に足踏みをしている訳では御座いませんけれども、今日は、その「光のDNA」というお話をしたら、やはり、延長線上のお話をさせていただきますが、また、ちょっと少しですね、ちょうど10年前、こういう事を始めた時代と似通ったようなお話に少し持って参りながら、しかし、それは「光のDNA」というお話をしないと、こういうお話も解っていただけないというテーマに入って行きたいと思います。

00:22:53~00:24:09
で、そのテーマが何かと言いますと、実はDNAに関連する事で御座います。それで、これは一つのモデルで御座いますけれども、これが典型的なアデニン、グアニン、チミン、シトシンですね。これは第11課で勉強いたしましたが、もうお解りだと思います。このアデニン、グアニン、チミン、シトシンが、このように塞がっていって、これが実際には、このような梯子段みたいな関係ではなくて、螺旋階段の関係になりますね?右回りにグルグルグルグル、とぐろを巻いている。ちょっとお目にかけましょうか?これは先回もお目にかけている図面で御座いますけれども、もう一度お目にかける事といたします。これで御座いますね?これで御座います。螺旋階段になっていますね?この螺旋階段のところを、ここをグッと拡大しまして、色つけいたしますと、このようになるんだなと思っていただければ結構です。

00:24:09~00:25:09
で、その螺旋階段の踏み板のところ、踏み板が、この螺旋階段は何枚くらいあるか?というと、人間の場合、約5億枚ある訳です。5億枚あるという事は、どういう事で御座いましょうか?この螺旋階段ですね?よろしいですか?これには、この前、ちゃんとご説明いたしました通り、こちら方は、表向きに来る訳です。そして、もう片方は向こう側を向いている訳です。向こう側を向いていますから、この「2」のところ、「人間関係」で結ばれている。

00:25:09~00:29:44
また、もう一つは肉体というところで結ばれている。これが我々の肉体を形成している基本的な原理になっていく訳です。だから、このたった一枚の369のマークというものによって我々の人間の肉体の仕組み。それが全て言い尽くされてしまうんだという事を第11課で御勉強した訳で御座いますね。そういたしますと、まず一番基本的に考えていただきますと、私共が形成されているのは、皆様が一人一人形成されているのは、お父様のDNA半分、それが、どこかどうちょん切れて半分になったか?これは、神のみぞ知る。それから、今度はお母様の半分。これが一つになって、例えば花子さんの一つが、まず形成されて。まず形成されますと、それが段々段々と増殖いたしまして、そして、皆様自体が作られていく。そういたしますと、人間が形成されて参りますのに、一番最初から心臓なんていうものは存在しておりません。胃袋も存在しておりません。脳みそも存在しておりません。極端に申しますと、極端にというか現実にそうなんですけれど、たった一つの、この螺旋階段の仕組みがですね、何時、何を、いただいたら、それを、自分の養分として消化して、心臓のある部分を作る。何時、何をいただいたら、それをたんぱく質として、胃袋のある部分を作る。その積み重ねの情報は、この中に全部ある訳ですね。全部ある。しかも今度は、これは私どもの一人一人が持っているDNAの基本体から考えて、まず我々の一生の。その人が誰と結婚するとか、そんな事は別にして、肉体のあり方が全部有る。全部有るという事を今度は一つ置きまして、今度はどのような事を考えるかと言いますと、皆様が一人存在するという事が、皆様の上に、二人存在する事を意味しますね?皆様が一人存在するという事は、お父様とお母様がいらっしゃる。また、お父様とお母様。実は私のお父さんとお母さん、そうです。これを、ずっと辿っていったら、私のご先祖様は平清盛ですと。これで平清盛だけがご先祖かと思ったら、とんでもない間違いなんですね。実は、これを辿って参りまして、たったの30代、辿って参りますと、皆様のご先祖は何になる?これは端数は一々憶えるのは大変でしょうから、簡単に申し上げますと。大変、憶えやすいんですよ。一億三千四百万人。一億三千四百万という事は「134」「ALM」と憶えておいてください。もう「ALM」の意味はお解りですね?お解りだと思います。「アレフ・レーム・ミーム」。これは何が何だか解らない。コーランの最初の2ページ。牡牛というところ、開扉の次です。

00:29:44~00:31:36
そこにいきなり「ALM」と書いてある。私、これ、初めて読んだ時、大変びっくりしたのですが、この頃じゃあ、何か、何が何だか解りすぎているような感じです。そうすると、皆様が持っているDNA、たった30代辿っていっただけで、これだけのものがあるんですから、もっと大変なものが、全人類のあらゆる情報がこの中に込められていると考えても実は過言じゃ御座いませんね?そういたしますと、これは裏も表も御座いませんから、向こう側から見たら、先程と同じような感じ。この、こちら方にも、向こう方にもですね、我々の全ての情報が込められてと考えても過言じゃ御座いません。そういたしまして、肉体というもののDNAは。この肉体に関する情報が、肉体だけに限定したとしても、その肉体のDNA
というものは実は、この「光のDNA」の物質界へ投影された姿なのですから、この母体となってくる「光のDNA」の中には皆様の精神世界のあらゆる情報が込められていると考えざるを得なくなってくる訳で御座いますね。

00:31:36~00:33:42
そこで、実は、この辺から昔の話に戻っていく訳でございますが。「ノアの箱船」の確か、第3部。私とM夫人という方は、こういう会話をしております。それは、どういう対話かと言いますと、昔、T先生という方が、「この中にテープレコーダーがあって全部、記録している」というお話が出てまいります。テープレコーダーがあって全部記録している。そして、テープレコーダー、ビデオのレコードでも結構です。それは、どのような形になっているでしょうか?テープレコーダーは長い長いフィルムになっておりますね?ところが、もう一つ、T先生という方は、不思議なお話なさっている。「我々が反省という事をいたしまして、反省が上手くいくと金文字になると、上手くいかないとX(バツ)印と、そういう記録がされているんです」というお話が出てくる。お伽話みたいな。そして、それを裏付けるような対話が、また出てまいります。何か、このような挿絵を描いた憶えがあります。

00:33:42~00:35:56
ところが、この、何かね、紙の巻物みたいなものがあって、本当に描いてあるのかな?というと本当かな?と思うんですけれども、如何でしょうか?ここに一つ、巻物がございます。先程も冒頭で、どんなお話が出てきたかというと、「巻物の封印は七つ」で、この巻物をといてみましょう。これは、実は表しか書いてございませんが、裏にだって書けます。といてみまして、よく見ててください。こう、捻っていく。お解りになりますね?と、捻ってまいりますと、どういう事でしょうか?実は、この巻物に私達のあらゆる情報が込められて、捻られてまいりますと、このように。実は同じ形していますね?これ、DNAと同じ形している。これに情報が全部、裏にも表にも込められている。先程のと見比べてまいりましょう。ゴワゴワしていて捻りにくかったのですが、これ、皆さん、くるくるクルっと、捻った姿を胸に描いていただきますと、今度は、これ、こうやって捻って、裏にも表にも情報が込められている。しかも生まれた時、たった一本のDNAが今の皆様を形成している。

00:35:56~00:38:31
それじゃあ、こういう事を人間は。この前、第11課で御勉強しましたように西暦1869年。スイスのフレードリッヒ・ミーシャーという方が、初めてDNAを試験管の中に捕捉した時から初めて解りだしたのか?と。どうも、そうじゃないらしい感じが私、しております。それでは、一体いつ頃から、こういうものに対する意識を人間というものが持ち出したのか?という事を今日は振り返って考えてみたい訳でございますね。そういたしますと、ここに、こういうものが。これを、ずっーと、西暦、紀元前のところに戻ってまいります。先程、このお話をする前に整理しておりましたら、面白いページにぶつかりまして。この御本で言うと998ページ。イザヤ書の第40章、あっ40になっておりますね。そこの第26節のところをちょっとお読みしてみましょう。これ、なかなかね、私、ひょっと開いてきたので、不思議だなあと思っています。何年か前に何回も読んだ印が付けて御座いますが。「目を高くあげて、
だれが、これらのものを創造したかを見よ。」今、皆様にお見せしたものを想像したかを見よ、という意味にご理解いただいても結構ですね。いいですか?「主は数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより、またその力の強きがゆえに、一つも欠けることはない。」さあ、ここで光と数との関連が何か力強く、しかも具体的には、光というものが未だ知覚し得ない、科学的な俎上に載っける事が出来ない時代に、やはり、人間って、イザヤという人の口を通じて、こういうような事を喋らせられてしまった。


00:38:31~00:42:39
そういたしまして、今度は、光の系統図から行きますと、表面意識というのは、両界曼荼羅金剛界、潜在意識に相当しますところが、ヨハネの黙示録の第21章の聖なる都エルサレムの宝石で構成されている順序と同じ仕組みで潜在意識が出来ておりましたね。そうして、その潜在意識というところに光を送り込む光の水源地を物語の形で説かれているものが、今、ちょうど開いております、エゼキエル書の第1章で御座いますね。その第1章のところ、ちょっとお読みいたしますと、"第三十年四月五日に、わたしがケバル川のほとりで、捕囚の人々のうちにいた時、天が開けて、神の幻を見た。 これはエホヤキン王の捕え移された第五年であって、その月の五日に、 主の言葉がケバル川のほとり、カルデヤびとの地でブジの子祭司エゼキエルに臨み、主の手がその所で彼の上にあった。" 4月5日というのが出て参りました。ところで、私、これ、お読みしていて実は大変不思議に思ったのですが、今日、偶々、こういうビデオ撮りするゆとりがありましたので、思い切って第12課をビデオに撮りましょうと、家中で相談して始めたのですが、今日はS63年5月4日、60日暦でいうと同じです。これ、こういうお話をしていて、今、不思議な感じでおります。それで、このケバル川のほとりで見ました「神の幻」というものを「光」で、ずっと解きほぐして参りますと、これが水源地の仕組みをそのまま表している訳で御座います。これが第1章。
そうすると、この第2章は。これ、第1章は潜在能力点火法の理論編にですね、全文第1章終わりまで、引用してございますので、そこのところを、もう一度、読み直していただきたいと存じます。そのお話をして行きますと長くなりますので、一つ、御本の方で復習してみてください。そして、今度は第2章をちょっとお読みいたしましょう。第2章の最初の方から読みますと、あれですから、いきなり、ズバリと、そのもの自体が書いてあるところをお読みいたします。第8節からです。”人の子よ、わたしがあなたに語るところを聞きなさい。反逆の家のようにそむいてはならない。あなたの口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい」。 この時わたしが見ると、見よ、わたしの方に伸べた手があった。また見よ、手の中に巻物があった。 彼がわたしの前にこれを開くと、その表にも裏にも文字が書いてあった。その書かれていることは悲しみと、嘆きと、災の言葉であった。” そうすると、先程、色々とDNAと巻物をひねくっている間に、何となく、DNAのあり方が、そのまま、この言葉の中に現れていますね?

00:42:39~00:48:08
ある意味で言ったら皆様が一生の間で色々な悲しみ、悩み、逢っていきます。なんとなく、それも込められて書いてある。但し、あの、聖書って非常にですね、信じている方は中々暖かい感じがするのですが、そうでない方は、聖書は過酷なまでの言葉遣いをされていますので、その辺のところは多少、割引して聞いていただいて結構でございます。そして、これで第2章が終わって、今度は第3章にどのような事が書いてあるかというと、”彼はわたしに言われた。「人の子よ、あなたに与えられたものを食べなさい。” 皆様も今朝起きてから今日は。また、御生れになってから、今迄。皆様は、皆様のお母様や奥様の作った、これ、神様の代わりにですで、作って与えてくださったものを召し上がっているはずです。もう一度、読んでみましょうか?"人の子よ、あなたに与えられたものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい」。” 我々、巻物の元をいただくと、巻物が出来ていますね?実は我々のいただいているものは必ず生命体なんです。人間は無機物だけいただいて生きている訳にはいかないんですね。それが動物と植物との大きな違いです。植物は無機体のものだけで生きていける、大変、動物の持っていない素晴らしい機能を持っています。この事は、また、いつか、ゆっくり御勉強したいと思っていますので、大きなテーマの一つで御座いますね。ところが私達、生き物は、動物、人類はですね、必ず私達よりも少しレベルの低い生命体を頂きませんと、生きていけないんですね。その生命体は何で形成されているかというと、実は、その、形成している細胞の核には DNAがある。すなわち巻物がある。そういたしますと、このお話は、”この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい」。そこでわたしが口を開くと、彼はわたしにその巻物を食べさせた。そして彼はわたしに言われた、「人の子よ、わたしがあなたに与えるこの巻物を食べ、これであなたの腹を満たしなさい」。わたしがそれを食べると、それはわたしの口に甘いこと蜜のようであった。” 皆様は不味いものは召し上がりませんね?戦争中とか戦後の食物のない時に。その時は召し上がった方も、いらっしゃるかもしれませんが、その時、不味いと思って召し上がった方はいないはずですね?天上の食物だと思っていただいているはずです。今、こういう飽食の時代、美食の時代になって、振り返って、そういうものをいただいたら、美味しいと思っていただいているかどうか?解りませんけれども、私共が生きる為に毎日、毎日、不味いと思ったら我々は生存出来ませんね?そして、このDNAの事を知ってか知らずか、なんとなく先程のDNAのあり方というものを意識して理解していきますと、鮮やかに理解出来ることは何か不思議な言葉として載ってきます。私は実はDNAという事を色々と存じる前はですね、この言葉が不思議で不思議で仕様がなかったんです。なんとか、この言葉、どういう意味だろうと。そういたしまして、ある霊能者に伺った事がありました。そういたしましたら、その巻物の中に色々と、これからやらなくちゃならない事が書いてあって、それを飲み込む人は、ちゃんと決まっているんだと。ある方であると。その方が、その事を悟って飲み込んだら、その方が何か人類大調和の為の大きな役割を果たすんだろうって。これ、中々ロマンのあるですね、お話が出てきて、「ああ、そんなものかな?」と思ったのですが、どうも、それもあるのかもしれませんけれど、そこまで考えなくても、私共の仕組み、人間の仕組みの中に、重大な、この巻物が役割を果たしているんだという事は、今度は心の底から理解出来た訳で御座いますね。

00:48:00~00:52:16
さあ、今度は、この物事は何でも、よく申し上げますけれども、この光の世界は、基本的には「123」が大原則です。これ何回もお話しております。この「123」が大原則であるという事は、ある意味で言ったら誰も気が付いていない。誰も気が付いていないけれど、私は「123」が原理の中の原理だ。その為に、これが大原理だという事を天が世界中のお母さんを通じて御生れになったお子さんに、だいたい3年以内に教え込むというルールまで作っているようですね。ですから、何処のお宅でも、お子さんが生まれますとね、アメリカだったら、「ワンー・ツー・スリー」、日本だったら、「ひ、ふ、み」、「いち、に、さん」、必ず最初は「し」まで教えません。昔、ロシア人とお付き合いしていた頃なのですが、幾つまで教えますと聞いたら、「ラース、ドゥヴァー、トリー」そして、3つまで言えるようになってきてから、「しー、ごー、ろく」、世界中のルールですね。それは、何故かというと一番大切だからです。「ワンー・ツー・スリー」と教えている訳で御座います。ですから、この巻物のお話というのは、聖書を仔細に拝見していきますと、ちゃんと3箇所出てくるんです。これが第一番に出てくるんですね。第二番目が何処に出てきますかというと、大体、光に関係してくるのは普通、あまり読まれないところばっかりに出てくるんですけれど、読まれないというのは何かと言いますと、今、読んだエゼキエル書とか、有名な話に出てまいりますダニエル書とか、それから今お読みするゼカリア書というのは黙示文学という範疇に入ってしまう物だからで御座いますね。あんまり読まれていない、何故かと言いますと、チンプンカンプンだからのようですね。私も今だにチンプンカンプンのところが多い人間で御座いますが、あの、偶々、ここを読んでおりましたら、出て来たんで印を付けておきます。ゼカリア書、このゼカリア書というのも、またご説明しますと、これ、長くなりますので、これ、大変、不思議な物語が出てくるんだと思ってください。で、その不思議な物語に馬車が出て来たり、馬が出て来たり、ミルトスの木というのが出て来たり、色々と物語があるんですが、読んでみると結構面白いですね。そして、この第5章のところをちょっと読んでみます。”わたしがまた目をあげて見ていると、飛んでいる巻物を見た。 彼がわたしに「何を見るか」と言ったので、「飛んでいる巻物を見ます。その長さは二十キュビト、その幅は十キュビトです」と答えた。すると彼はまた、わたしに言った、「これは全地のおもてに出て行く、のろいの言葉です。すべて盗む者はこれに照して除き去られ、すべて偽り誓う者は、これに照して除き去られるのです。” この後、ずっと、ご自分でお読みになっていただきたいのです。これも何かですね、呪いとか色々な言葉が出てまいりますけれども、何か、この DNAのあり方が、そのまま示されていますね?要するに DNAの中に情報として込められない物を私達が飲み込んでいってもですね、それ、みんな除外されてしまいますという風に理解しますと、誠にこれもまた意味深長な感じがいたします。

00:52:17~00:59:07
で、実はですね、ここのところに注目し始めた、これも基なんですけれども、こういう事を始めました時に九州というところに参りましたがね、毎回、夢の話をなさる青年がいるんです、質問の時間になりますと。それで、その質問の時間になりましたらですね、その方が、こういうお話しているんですね。自宅を出て、ずっと大きい道路を歩いていたら空に飛行機が飛んでいたと。その飛行機が、どんな飛行機かというと、後ろに、よくアドバルーンの下に広告、帯状になった広告がアドバルーンに載ってますね?それと同じように。それで、この頃、あまり見かけませんけれど、私がまだ子供の頃はプロペラ飛行機の頃は、よく飛行機の後ろにですね、ざっと長い旗がですね、ずっと吹き流しみたいなのをやって行って、本日、三越大売り出しだなんていうのを、やっていったりした事があった。それと同じです。で、そういうものを見ましたというお話をね、された事があるんですが、それは、私、非常に、びっくり仰天しましたのはね、偶々、これ発見しましてね、飛行機の中で。これ、不思議な事が書いてあるなと思って、講演会場に行って質問の時間になったら、青年が、これに書いてある、空に飛んでいる巻物を見たと話をしていて、びっくり仰天して、いまだに憶えている訳です。これが今度は聖書の中に巻物の物語に出てくる、第2番目のところですね?そして、今度は第3番目、巻物の話が、どこに出てくるかというと、今度は、こってりと長く出てくるんですね。どこに出てくるかといいますと、毎度、お話に何回も出て参りますけれども、聖書のωの章、ωは一番終わりでございますから、ωの章というと、ヨハネの黙示録という物語になりますね?ここにもございます。持って参りました。そうすると、この黙示録というのは、どのような仕組みになっているかと言いますと、これ敢えて申し上げますが、要するに長老ヨハネという方がですね、もうイエス様も亡くなってしまって、ローマでは、どんどん禁止された宗教として弾圧される。で、とうとう捕まってしまって、地中海のパトモス島というところに流されてしまう。だから、流されちゃったから、おそらく一人でですね、朝から晩まで、朝な夕なに祈りを捧げていたんじゃないかと思うんですね。
ふと、ある時、何て言うんですか、光に触れまして、一つの幻のドラマを観ています。そして、そのドラマの中で、神か神の代理人と思われる方が、「黙ってこれを書き記せ」と言ったので、書き記していったんですね。だから、あの、ヨハネっていう人、私、何時も思うんですけれど、余程覚えが良いのかですね、観ながら書いたか知らないけれど、まさに憶えきれないような複雑怪奇な情景をきちっと文字に黙って残していった訳ですね。黙って残していきましたから、後世、殆ど、これは、この内容というものは、もう謎に包まれていて、現実に私も未だに何だか解らない。解らないけれども、光では一番最後の第21章と第22章ですね。その大調和のところだけは、よく光で理解出来るような感じがいたします。ところが、これが、やれ黙示録大予言書だとか何とか色々な本が何百冊か何千冊、何万種類、世界中で言ったら出ているんじゃないかと思いますが、そういうものを、これはと思うものを見て参りますと、「やれ、これは何年頃に、こういう戦争がある」とか何とか色々な大変立派なお方が色々な事を書いていらっしゃるんですが、一番最後のこれ、誰も手も足も出ない、これ何の書いてあるか解らないと書いてあるんですね。これが丁度、第11課のところでも触れましたけれど、1968年から1972年までですね、アメリカのアポロ計画というものが、宇宙船を月世界に向かって6回発射しますね?で、24人の宇宙飛行士が月世界まで行って、その内、12人が。この12人という数字も不思議な数字ですが、月の世界を実際に自分の足で踏んで参りますね?そのうち、たった二人ですか?一人、シュワイカットという方ですね?一人だけの例外除いてあとは、23人が23人、皆、光の体験をします。その中で、帰ってきてから、宇宙飛行士を辞めて宣教師にまでなった方もいらっしゃいます。話がちょっと逸れましたけれど、元に戻りまして、この黙示録というのは、そこで、神の光に触れました。まず、七つの教会にメッセージが送られます。このメッセージを一つ一つ解読しますと、これがまた我々に示唆するところ非常にあるんですけれど、それを横道ですからあれですが、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキアという七つの教会にメッセージを送ります。それで確か七つの教会のペルガモの教会のところで、白い石とか、そういうのが出てきたりですね。ここは鋭い諸刃の剣というのと、後ろの方に白い石というのが出てくる。これがまた先程の四十七士の中の問題に戻っていくとか、色々な申し上げたい事が沢山ございますけれど、そういうところを、ずっと抜いていきますと、今度は、このメッセージが終わりますと、その時初めて一番冒頭に書きました巻物が出てくる訳ですね。

00:59:08~01:02:44
そして、その巻物には封印が七つしてある。封印を一つ、一つ、ほどいていきます。で、封印を一つ一つほどいていきまして、第一の封印をほどきますと、そこに出てきたのが、白い馬が出てくる訳であります。そして、二番目の封印をほどきますと、赤い馬が。三番目の封印をほどきますと、黒い馬。で、四番目の封印をほどきますと、青白い馬なんですが、これは、あの、色々な理解の仕方がありますけれども、何となく、その頃になりますと、青または緑の馬が沢山出てきますんでね、青い馬というように光のお仲間の方は理解なさっているようで御座います。そして、この封印が次々と、最初のうちは、何とは無しに、この、出てくるという事だったんですけれども、その六つ目の封印ぐらいから、もう大変、天地が動揺して、そして七つの封印が全部ほどかれますと、今度は天使が七人出てくる。で、天使が七人出てきて、あれ、どないな事になるのかなというと、これが、ラッパを一人が一つずつ持って出てくる訳です。で、ラッパを持ってきて、あれっと思ったら、その一つのラッパを吹く度に、いろんな壮大なドラマが、この地球上に展開されていく。地球上と申しますか、光の地球と申しますかね?展開されていく。一つ鳴らす。二つ鳴らす。三つ鳴らす。三つ鳴らすと、これがまた不思議なところで、三つ鳴らしたところだけ、ちょっとお読みしましょうか?”第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。 この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。”って書いてあるね?ところが、この苦よもぎというのは、これは日本語の聖書で御座いますから、日本語の聖書では「苦よもぎ」実際にヘブライ語の聖書とかラテン語の聖書、英語の聖書で、どのように書いてあるか私、存じません。しかし、ロシア語の聖書には、こう書いてある。Чернобыльник ロシア語の聖書にこう書いてあるという事は、どういう事か?これは、ロシア語では何と読むか?と言いますと、チェルノブイリって読むんです。

01:02:44~01:04:54
チェルノブイリというのは何でしょう?チェルノブイリというのは、1986年4月26日、ロシアのウクライナというところ、ソビエト連邦ウクライナというところで、原子力発電所が爆発いたしました。
1986年です。すなわち、昭和61年。で、大変、不思議な感じがいたしますのは、これは、丁度、私がこういう事をし始めたのは、昭和52年(1977)で御座いますんで、丁度、10年目。
1986
1977
77
78
79
80
81
82
83
84 ->1
85 ->2
86 ->3
三つ目のラッパ、チェルノブイリ、大変びっくりいたしました。これは、偶然の一致と言えば、偶然の一致だと思うんですが、やはり、こういう事をやっておりまして、大変びっくりいたしました。

01:04:56~01:10:56
なんか、こういう事が直ぐに理解出来る為に軍隊生活中にロシア語を勉強したんじゃないかとまで、一時思った事も御座いました。で、また色々と横道に逸れますが、このラッパですね、次々と鳴らしていきまして、そして、いよいよ第10章に行きますと、七つ目のラッパもいよいよ鳴らされる訳ですね?さあ、七つ目のラッパのところをちょっと読んでみましょう。第10章の第7節で御座います。“第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。 すると、前に天から聞えてきた声が、またわたしに語って言った、「さあ行って、海と地との上に立っている御使の手に開かれている巻物を、受け取りなさい」。 そこで、わたしはその御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。すると、彼は言った、「取って、それを食べてしまいなさい。” 先程のエゼキエル書に出てきましたね?同じ言葉が。”あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」。 わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。 その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。”
このようにお読みしますと、もはやお気づきだと思いますが、一番最初お読みしたエゼキエル書は、”飲む時、蜜のように甘かった”としか書いていなかった事を思い起こしていただきたいと思います。ここには更に具体的に、もう一度読みしますよ。
”わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。”
<みつ> <はら>
蜜のように甘かったが、それを食べたら腹が苦くなった。
”その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。” 大変、これ不思議な物語ですね?そして、私は、「これ、一体なんだろう?」と思っておりました。で、ここで、ちょっとお話がまた先程の、ちょっと出て参りましたT先生のお話に、また戻らしていただきたいので御座いますが、私が、そのT先生がお作りになりました団体に入りましたのは、昭和47年1月の事で御座いました。その年の7月の末にありました、栃木県の古峯というところ、天狗様を祀っている神社が御座いますね、大変、山深いところで御座います。そこに家内と共に研修会に参加いたしました。そして、どのようなご講演を拝聴出来るのかな?と楽しみにしておりましたら、その時のご講演の内容は般若心経のご講演で御座いました。ただ、私は残念ながら、その全部はうかがえないで、翌々日、用事が御座いました、家内と二人、前半だけうかがって、帰って参りました。ただ、それから約5年くらいの生活が続きますから、もちろん、その全部も後で何回も伺っている訳で御座います。それで、般若心経、般若心経の話に途端になっちゃって大変恐縮で御座いますけれども、私、実は、こういう、「ノアの箱船」というものを書きましてですね、昭和52年7月7日に書きまして、それ以来、ずっと、こういう「心」とか、「光」に関するお話をしておりましたんですが、般若心経のお話というのは、もう、一欠片もしないで、11年やって参りました。初めて、ここで般若心経についてのお話を多少させていただく訳で御座います。

01:10:56~01:15:28
多少と申しますと私、別に仏教学者でも御座いませんし、特にそれを造詣深く研究しているものでもございませんですから多少面映ゆい訳でございますが、もう般若心経と言ったら、むしろ日本人だったらご存知ない方が無いくらいですね。ある読書の新聞のページを読んでおりましたら、4~5年前の新聞の記事でございますけれども、非常に、今でも多少ブームだと思いますが、般若心経というのが最近ブームである。そして、ある書店のコーナーに参りましたら般若心経が、その時、新聞社の方が調べて参りましたら、27種類、般若心経の解説書が出ていたそうです。いずれも売れ行きが良いと本屋さんがニコニコしていたという記事があると記憶しております。なら、お前も真似して書きゃいいじゃないか?と思われるかもしれませんが、これがですね、どうも書きようが無いんですね。光で般若心経の解説書を書こうとすると、もう、たった一言で足りちゃうんですね。「般若心経=光」になっちゃう。あと何も書きようが無い感じ、何を書いたら良いのか?考えてみると不思議でございますね?でも、このビデオをご覧になっている方も般若心経を毎朝十遍ずつ唱えるのを日課としている方も、ざらにいる訳ですからね、本来なら、摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多とかね、一通り、読んでもみたいんですが、恥じかきますから、そういう事は抜きましてね、ただ棒読みに読んでおりませんで、これを、ずっと読んでみますと、般若心経の中の「空」という言葉が御座います。「空」という言葉を、そのまま「光」と理解していきますと。このまま「光」と理解していく理解の仕方に般若心経をお読みになる時にですね、2通りに理解していくと良いんですね。一つは<光の世界>と<物質の世界>を対比している文章が、まず最初の文章の三分の一くらいです。それから今度は真ん中の三分の一くらいが、どういう事かというと、<光だけの性質>を言っているんですね。例えば<光だけの性質>とは、どういうのかというと、不垢不浄だとか不生不滅とかですね、不生不滅。要するにですね、新しくできもしなければ、無くなりもしない、汚れもしなければ、特に綺麗にもならない。その、ありのままの光の性質を言っている。この一番最初の光と物質との関係というのは、有名な<不異空空不異色>それから<色即是空空即是色>、これ、一番有名な言葉ですね?これが光と物質との関係。それから、半ばくらいが、<光そのもの>の性質。そして、一番最後がどういうのかというと、また、元に戻ってくるんですね。元に戻ってくるというのは、どういうのかというと、第一行目が、今、申しました通り、観自在菩薩ですから、観自在菩薩は、どういうのかというと、今度は「潜在能力点火法」をお読みになって、それを理解し実行していて、自在に光が見えるようになった方は皆んな観自在菩薩だと私、思っています。


01:15:28~01:20:43
そして、行深般若波羅蜜多時。行深、深く、般若波羅蜜を行じている時。般若波羅蜜というのは。般若というとすぐに思い出すのは般若の面。そして、昔は御坊様が今みたいに大っぴらに、お酒がお寺で飲めない時は、これはお酒じゃないんだと。般若の面になるような面立ちになる水だから、これを般若湯、お湯ですか?般若湯と称して。なんとなく、あの般若の面と般若湯というのは、何か般若というものを、何か逆に意味しているような感じがいたしますね?般若とは?これも解ったような解らないようなお言葉でございますけれども、智慧と理解されておりますね。で、この智慧というのは何も学校や何かに行ってですね、百科事典読んだりして出てくる知識というものとは違うんですよと。むしろ、智慧というのは、例えば困った方がいたら、そこは道がありますから黙って歩いていけば良いんですね。それは道があるから黙って歩いていけという知識です。しかし困った方が道の端にいらっしゃったら、歩いて行かないで、何で困っていらっしゃいますか?問いかけてお力になれたら力になっていくというのが智慧で御座いますね?だから皆様の周りに例えば自閉症のお子さんがいて、困っていらっしゃるお母様がいたら、これは見過ごしにしてはいけない。皆様のお隣の家で明日、夫婦別れをしなくちゃいけないと決心しているご夫妻がいたならば、これこれこのような事で、光を実践していらっしゃいます。教えていく、その心の在り方が智慧と申すものだと私は理解しております。難しい事では御座いません。だから、般若、その偉大なる智慧。波羅というのは英語でgoとかwalkですか?「行く」という意味に理解されるようで御座いますが、その偉大なる智慧というのは、どんな智慧だっていうと、蜜多、蜜が沢山ある素晴らしい、多。先程の何回か出て来ましたね。その素晴らしい智慧に到達する方法。そして到達する方法は実は般若心経には書いてございません。波羅蜜を行じればですから、行じた結果を書いてあるんですね。そしたら、こういう風な事が悟れますよ。要するに色即是空、空即是色。また、不垢不浄、不増不減。これは光の性質ですね。光と物質との関係。光の性質。そしたら、一番最後はまた元に戻るというのは、だから仏様でも何でも般若波羅蜜般若波羅蜜を行じたらいいんですよ、って書いてある。これ以上のものは無い。それが是大神呪、是大明呪って書いてある。そしたら、これ以上にないものって般若心経に書いていないっていったら、どこに書いてあるかというと、この般若心経というのは、どうも、ある方の説によりますと、この般若心経の元になるのが、大般若経という大きな長い長いお経で御座いますね。このお経をインドから担いでいらっしゃったのが、玄奘三蔵という偉大な方で御座います。唐の時代にわざわざインドに。しかし大変不思議に私、いつも思うのですが、玄奘がインドに行った時にはですね、もはや祇園精舎等は廃っていたそうですね。そして、それより250年前に法顕というお坊さんが行った時は、まだまだ栄えていた。だから玄奘と法顕の間の250年の間にインドの仏教会というのは、ひと騒動あったと、だいたい理解できる訳です。

01:20:43~01:27:24
インドは、その後は、所謂、ヒンズー教に取って代わられていて、もう玄奘が行った頃にだいぶ代わられちゃっている。そして、また、中国にはまだ、そういう思想が御座いませんでしたから、持って来て、その持って来たのが中国からお隣の韓国の方に通じまして、主として百済という国を通じて日本に仏教思想というのが入って来た訳で御座いますね。そういたしまして、その玄奘が、色々なお経を読んでいるうちに、大般若経、これは長すぎると。このダイジェスト版書いたら、みんな読んでくれるんじゃないかと思って、そのダイジェスト版を書いた。ダイジェスト版で、これがなかなか名文で、たったの262文字で憶えやすいものですから、おそらく、ありとあらゆる2万5000巻あると言われているお経の中で一番愛読されているお経が、この般若心経じゃないかな?と私、何時も考えている。その証拠に先程の朝日新聞の読書欄じゃありませんけれども27種類の般若心経の解説書もしょっちゅうベストセラーになっているそうで御座います。それだからと言って皆さんに般若心経をお読みくださいとお願いしている訳では御座いませんで、あの大変ですね、その辺のところが私、不思議な感じがしているというだけで御座います。そして、それで、この般若心経が成立いたしますと、大変不思議な事に日本に仏教というものが入って来まして、一番最初は仏教が栄えた、まず、第1期に栄えた時代は所謂、奈良仏教と表されておりますけれども、あの有名な唐招提寺の鑑真という方ですね。何故、日本の僧侶がですね、色々と艱難辛苦して、中国まで渡って鑑真を招来しなくちゃいけなかったかというと、あの頃は要するにお釈迦様の残された教えの中で、こういう事をきちんと守れば人間というのは極楽に往生しますよっていうくらいの、ある意味で言ったら素朴な仏教の形だった。それを何ていうかと言うと、規則を守りますから、規則というのは法律ですから「律」と申しますね?「律」だけ守っている。ところが「律」を守ると言っても何百という法則がある。それに、やっぱり、それを守るのに一般庶民階級ですとね、どうも手が届かないんですね。そして、こういう事に、まず、数あるお坊さんの中で、疑問を持った方が当時、二人おられた訳ですね。お一人が最澄という方ですね。どうも、律をきちっと守らなければいけない、これは学問を修めて来た人間じゃなきゃどうにもならない事、これ、ちょっとおかしいじゃない。そして、それと、また、だいたい同じような事を空海という方も、まあ、言葉に出したか、出さないかという事は、ともかくとして、お二人とも同じ船団で中国に渡ります。中国に渡りまして、この時に渡ったんですけれども、立場はだいぶ違うんですね。最澄という方は、大変、頭も良いし、位も高い方ですから、現代の言葉で言いますと、東大の総長みたいな立場でいらっしゃる。それから、空海という方はどちらかというと、まあ、ちょっと語弊がありますけれど、夜学か何かの浪人みたい、そのような立場で、何処をどう、細工したか知りませんが、行っている訳ですね。その辺のところは司馬遼太郎先生の「空海の風景」という有名な小説にもなっておりますし、映画は、だいたい、これに準拠して作られたようで御座いますが、そういうような、色々な事が御座いますけれど。そういう事で、まず天台宗の元になるものを最澄という方が持って来られた。で、最澄という方は非常に学識のある方ですから、この最澄が持って来ましたお経に基づきまして、次々と日本の仏教を担っていくようなお坊さんが育っていきますね、天台宗の系譜の中から。例えばみなさん、よくご存知の方で法然という方。法然の前には恵心とか、色々な方が存在する訳ですが、法然。また、法然を継いで、さらに、それを大きなものにしていく方に親鸞という方。これは皆んな比叡山の方の系統。それと法然親鸞と、やる事は非常に違う、同じ仏教とは思えないような形の仏教を広めるようになった方が日蓮という方です。で、どうして、こんなに違っちゃったかというと、これは考え方の相違で、仏教には変わりはない。法然とか親鸞という方は、どういう事をお考えになったかというと、どうも難しい勉強したりしたりして、人間というものは極楽往生した人間しかできないのはおかしいじゃないかと。だから、それを一番極端な形で広めたのが一遍上人という方でいらっしゃいますが、要するに南無阿弥陀仏という事、要するに阿弥陀様という事。その当時は光というのは今みたいに具体的に解りませんからね、光=南無阿弥陀仏というような形に転化されていく訳で御座いますが、御仏を常に念じているという事が御仏の救いを自分の中に実現する事だと、簡単に申し上げますと、そのような感じ。但し、簡単に申しますと、そうですが、それを保証する一つの論理というものは法然法然なりに御座いますし、親鸞親鸞教行信証という一つの哲学書として残している。一遍という方は、自分の書いたものは最後に殆ど全部、燃やしていかれたように伺っております。

01:27:24~01:31:08
で、それとは別に同じ、今度は当時の乱れに乱れた色々な仏教思想界の中で、この中で一体、どれが一番良いんだろう?ずっと万巻の仏書を読破して、ああ、これだ!って発見した方がいる。それが何という方かというと、それが日蓮。これは、この仏教に数ある色々な考え方があるけれども、どうもこれが一番素晴らしい考え方だと、だから、これに基づいた思想を説いていくんだと決心なさった方が日蓮という方です。で、それが今の日蓮宗の元になっている。ところが、また、これが、そういう考え方ばっかりかというと、やっぱり同じ仏教でも色々な考え方があるんですね。どんな考え方があるのかというと、文字で書いたものじゃなくて、本当の真実は文字以外のところにあるんじゃないかと。だから、今まで文字で書かれた思想とか、一度、御破算にしちゃって、その一番本源的なものを一つ掴んでやろうと思い立った方が、これが道元という方だと思えるんですね。だから、色々な表現方法はあるはずです。そして、日本の中だけでは勉強が不確かだというんで、やはり、唐の国に渡りましてね、向こうに行ったら、向こうのお坊さんの修行のレベルといいますか、悟りのレベルがあまりにも違う。向こうは、まるで炊事をしているようなお坊さんの在り方を見ただけで、びっくり仰天して曹洞宗というものを持って帰って来られた方が道元という方です。これは、自ずから一つ一つアプローチの仕方が違います。違いますから、これらの宗派というものは、同じ仏教なんですけれども、所依の経典というものが違います。所依の経典が違いますが、そこで一つ不思議な事が起こって参りますのは、何処の宗派に属するお坊様のですね、色々な論説を拝見しておりましても、必ず一箇所か二箇所、もっとの場合があります。必ず般若心経からの引用をなさる。これは若い頃から私は不思議に思っていた事です。必ず般若心経から引用の言葉が出て参ります。そういたしまして、今度は先程のT先生という方も原説般若心経という、やっぱり般若心経の解説書みたいなものをお書きになっている。私も原説般若心経の般若心経の方は本に引用いたしませんでしたけれども、お釈迦様の一代記のところ。実は、この原説般若心経にお釈迦様の最期のくだりのところが出てくるんですね。で、その最期のくだりのところは色々な意味で光と関係があるものですから、むしろ般若心経の方じゃなくて、そっちの方ばかり読んでいた記憶が御座います。但し、実は、この般若心経のお話を、こういうお仕事をし始めてから10何年も経って初めて口にしてみる勇気が出てきたのは前回の第11課の光のDNAというお話をしたからこそで御座います。

01:31:08~01:36:05
何故ならば、前回、ご勉強いたしまして、もうご承知のように、この螺旋階段の二重螺旋のところ、二重螺旋の両側の螺旋のところですね。黄色、緑、黄色、緑、これ。これが光で足して参りますと、どうなったか?これは第11課のところで説明して御座いますんで、そこのところで、また復習していただきたいんですが、この四角形になっているところ、これがリン酸というものでしたね?リン酸は、これは<8>だから。それからデオキシリボ核酸というのは、これは「1」です。で、また、ここに<8>がくる。また、ここに「1」がくる。だから、DNAというものは全部、9-9-9-9-9で両側の二重螺旋が出来ているんだという事を勉強いたしました。「9」です。これはωですね。そして、今度はDNAというものがDNAに増殖する場合は、そのまま分れて、また、これは詳しくご勉強する時が来ると思いますが、DNAが増殖、転写されていけば良いんですけれど、今度はDNAからタンパク質が作られる時には、RNAというものに転写されていく。そのRNAというのがまたですね、もう一つの小さいRNAに転写されてタンパク質というものが作られていく訳で御座います。これは、向こう半年か一年くらい、必ずご勉強の中に入って行きます。必要ですから。そうしますと、このRNAの骨組みはどうなっているかというと、ここの<8>は同じですけれど、デオキシリボ核酸というのは、これが「1」ですから、9-9-9-9-9になるんですね。そして RNAのほうは、これが「2」ですから、必ず<8>の「2」になりますから、これは「1」です。「1」になると、要するに「1」はα。αでありωである。そうするとαでありωであるという事は、また、何処に出てくるかというと、毎度、お話がこんがらがるようであれですけれど、そこだけお読みしましょうか。大切なところですから。ヨハネの黙示録の第22章。22:12 ”「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。” こう書いて御座います。初めであり、終わりである。αでありωである。そして、皆様のDNA。両方の螺旋階段はαとω。だから地球の螺旋階段に相当するところは、地球の軌跡として人間の目には見えておりません。踏み板しか見えて来ない。地球として見えて来ている訳ですね。そうしますと、αでありωであり、というのは我々の身体の中で重大な役割をしている。これだけは、きちっと一つ、念頭に置いておきまして、先程の般若、パジャパラミタ、般若波羅蜜多のお話に戻りますと、この大般若経の方には行じ方が書いてあるんですね。6つあります。

01:36:05~01:53:03
一番が布施。布施というのは、よく皆様がお寺さんに行きまして、お経をあげていただきますとね、こう包みましてね、お経料とか書いたり、お礼って書いたり。あるお坊さんに言わせますと、あれは布施って書くのが本当の書き方で、あとのは皆んな間違いなんだっていう知ったかぶったような事を教えてくださった方がいるんですが、何だっていいんですよね、考えてみるとね。その行為なんですね。しかも、あれはお坊さんに差し上げるんじゃなくて、困った方に差し上げるのが、お布施って言うんじゃないかなと私は思うんですが、ここに関係のある方がいらっしゃったら、ひとつご勘弁いただきたいんですが、布施。布施というのは要するに困ってない人に差し上げる必要は御座いませんね。この方困っているなと思ったら自分でゆとりがある分だけ差し上げれば、これが布施という行為じゃないかと思う訳で御座いますね。仏典には色々とシャーリー・プトラーという方のお母さんがあの世で救われてなど色々なお話が出て参ります。そういうお話を私も伺った事が御座いますが、まあ、そうじゃなくとも一般にボランティアの精神という風に理解していただければよろしいんじゃないかと思いますね。で、二番目が何かと言いますと持戒持戒というのは戒めを堅持するという事ですね。持戒というのも、先程の奈良仏教の話に戻りますと随分難しい色々な事があるんですね。四つ足を食べちゃいかんとか、日本人は所謂、獣肉をいただけなくなったひとつの原因のように伺っておりますが、そんな事じゃなくて、要するに私達の常識的な人様のあれを介入しない常識的な生活をしていくという事が、まず持戒の基本じゃないかと、ね。で、布施、持戒。で、その次に何が出てくるかというと、これは八百屋さんの品物が出てくるんですね。ニンニクというんです。だが字は違うんですね。これは辱めを忍ぶと書きますね。辱しめを忍ぶと書いて忍辱と呼びますね。で、これは、よくお坊様が。で、我慢するんじゃないんだ。辱めを受けた時に我慢するんじゃなかったら、どうしたら良いか?なかなか難しいですね。但し私は、この我慢とか何とかじゃなくて、成る程、この光の調和法を始めたら成る程、忍辱って、この事かな?と思える節は沢山御座います。実は、こういう事をやっておりますと、大変お恥ずかしい次第ですが、世の中の方から考えたら辱めとかですね、まるでエライ目によく遭います。そして、もし、私も光を知らないでやっておりましたら、ある意味で言ったら腹の立つような事ばっかりある。しかし、それが腹が立たなくなっている、私ね、それでも、まだ、偶には腹が立つ事があるのかもしれませんが、皆無じゃないのかもしれませんが、昔、100だったら、今、1か2ぐらいになっちゃう。全然、腹が立たないって言ったら変ですが、昔だったら、余程、腹が立ったお話がよく御座います。この間も、あるところに行きましたらね、こんなお話が出てくる。ですから、ある県とだけさせていただきましてね、差し障りが。ある県で、これ非常に、機織りが盛んなところで御座います。そこの結婚式が御座います。その結婚式に光のお仲間がお一人。Iさんという方がご出席なさる。そうしましたら、結婚式ですから、こう、丸テーブルが幾つか御座いましてね。同じ席で、最初は、やれ、A社の何とかで御座いますが、~会社のIで御座いますが、とか、まあ、お互いに自己紹介なんかしたりして、やっているうちに段々と宴たけなわになって参りましたらね、お隣のある大きな繊維会社の営業所長さん。「Iさん、貴方を前にして、こんな事を言うのは何だと思うけどね、この県の人はけしからんね。」「えっ、どうして」「だってね、私のところで素晴らしい、良い糸を開発して、これで使ってくださいって言っても誰も使ってくれない。何だかんだ言って拝み奉って使う。そしたら、どんどん、その糸、出て行くんです。ところが段々、解ってきたら、どの機屋さんも大儲けしている。こっちが、ようやく拝み奉って使っていただいているお得意と言えばお得意だけど、大儲けしたら途中であった時くらいね、~さん、お陰で私、沢山、儲けさせていただきます、ありがとう。ご挨拶の一つくらいあっても良いと思う。それが一つも無いんですよ」「しかもだ、糸の中に、本当に、何本という糸の中に、たった一箇所、ダメが一つでもあったら、ものすごいクレームが来るんですよ」「酷いよ、この県の人は」話が出ている。「先生、コテンパーでした」という話が出てくる。へーっ。そうですか?で、また Iさんがね、「ところが、その時、私、こういう事、気が付いたんですよ。実は先生、しょっちゅう、こういう目に遭っていらっしゃるんですね」ね!。実は一生懸命、光を伝えていて、えー、それ本当ですか?やっていて、やってみたら何て事は無い、夫婦喧嘩がちゃんと解決して、何だかんだ、治っちゃったら何の事はない。会ったって、滅多に会う事はありませんけどね。まあ、ありがとう御座いましたなんて言ってくるのは10人に一人いれば良い方なんです。それで、ちょっとあれだと、「やれ、光が見えない」とか、何だとか持ってくる。って言ってしまえば、それまでですが、それ、日常茶飯事ですから最初のうちは腹が立ったんだけど腹も立たなくなってから、他所の話聞いているみたいな感じになってきちゃった。ところが、その時にその場にいらっしゃった方が Iさんだけじゃなかった。実は、その県人の方が20人くらいいたの、その席に。ですから他の方、何となく、しゅんとなっちゃうんですね。あたしたち、いつも、そういう意地悪していた、という風に取られちゃうでしょう?ところが。私、これも光を実践しているから、こういう智慧が湧いたと思うんですがね、「いや、Iさん、その営業所長さん、おっしゃる事は、ごもっとも何です。ある意味、私もそういう目にあっているかもしれないけれど、その所長さんが仰っている事、一つだけ違っているよ。」「えっ?なんですか?」「いや、私、遭っているの、何もここだけじゃないのよ。」はっ、と皆様が救われたような顔をなさる。実は忍辱というのは光の調和法をやっていると自然と行える行為の結果に過ぎないんじゃないかな?と、この頃、実は思っております。そうすると、布施、持戒、忍辱、その次に精進という言葉が出てくるんですね。八正道の中の6番目。「道に正しく精進する」とある。ある意味で言ったら一番、訳の解らない言葉ですね。何を精進しているのか解らない。但し、これは「道しるべ」という御本に私、お書きしておきましたように、精進とは、もうたった一つ。「家庭の調和、融和、円満」に努力する事だけを私は精進と呼んでおります。それで良いと思うんです。それが世界中で実現した時には世界というものは戦争の無い世界に、諍いの無い世界に平和な世界になる事は保証いたします。そういたしまして、まあ、それは、それとして、今度は般若経の言葉に戻りますと、五つ目に出てくるのは禅定。この禅定というのはお坊様によって修行者によって理解の仕方が違いますが、それは皆様が、どのようにご理解いただいても良いのですが、今日、そのような事を色々と申しあげるお話では御座いませんので、禅定、ま、反省と考えていただいても結構で御座いますね。この五つを積み上げてくると最後に達するのが、般若、すなわち智慧に達する。その智慧というのは自ずから湧いてきた偉大なる智慧。蜜のように甘い智慧で御座いますね。そうすると先程、聖書をお読みいたしましたね?一番最初がエゼキエル書の第二章。二番目がゼカリア書の第6章くらい。それからヨハネの黙示録の第10章に巻物のお話が出てくる。そして、その巻物を飲んでしまうお話が出てまいります。ところが何故、私が11年間も棚の上に置いて出来なかったかというと、実はαとωという事をDNAで理解して初めて、こういう事が可能になってくるんですね。<はら ω><みつ α>。巻物を飲んでしまったら、口には蜜のように甘く、腹には苦かった。これ、αとω、<はらみつ>です。この巻物の意味が解って、すなわち、この意味が解って実践した時に、皆様の中には本当にパラミタ、偉大なる智慧が湧現してくるのは、実はこの「369のマーク」が保証しているんだという事で御座います。そうすると、仏典に説いてある事、聖書に説いてある事、しかも一知半解で解ったような解らないような、しかし、一聴したら脳裏に焼き付いたような言葉の意味が、ここで初めて皆様にもご理解いただけると私は信じております。一番最初申し上げました通り、簡単な「ひかりのかるた」<巻物の封印は七つ>という簡単なカルタから、こういう素晴らしい智慧が湧現してくるんだという事にお気づきになっていただければ今日、私がお話申し上げました目的は達したものと存じております。ありがとう御座いました。

© 2022 Nokichi Miki